木苺の思いでと

umegasane2005-06-09

明日からしばらく東京を離れるので、いつもよりちょっとだけ念入りに庭の観察してみました。小さなユキノシタに花が咲いてたり、ホタルブクロの花が3つ咲いてたり(ホタルブクロ大好き!ほわっとかわいい〜)、水が足りなくて植物がしおれてたり(ごめん。。)とりあえずしっかりお世話しときました。で、最近気になってた木苺、やっと実がなって、赤く美味しそうに色付いてきてたんで、まとめて食べちゃいました〜!といっても3つですけど。木が1本しかないので、なる実の数も控えめです。よーく味わって、美味しくいただきました。私が小さい時、おじいちゃんによく木苺を摘みに連れていってもらったのを思い出します。
行く先は毎年同じ。ちょっと山の中に入った所に日の当たる斜面があって、そこに一面に木苺が生えてました。木苺の木にはとげがあるので苺を摘む時によく怪我したり、手も足もひっかき傷だらけになったんですよね。でも、木苺がおいしいので、必死になって摘むんです。かごに山盛りいっぱいとか。家に帰ってから塩水で軽くあらって、ぱっくぱく食べました。時々蟻が実の中にいたりして、それは苦かったけど、苺はみずみずしくて甘酸っぱくて、本当に美味しかった。夢中で木苺を摘んでる時間も、すごく幸せでした。
でも、今はもうその木苺の広がる斜面はありません。近くの神社が世界遺産に登録されたとかで、そこへの参道として「きれいに整備」されてしまいました。コンクリートで保護された、広い道路があるばかりです。世界遺産って、なんなんでしょうね。周りの環境を破壊してまで、参道を新たに作る必要がどこにあったんでしょう。世界遺産に指定された場所以外はどうなっても構わないんでしょうか。そこを取り囲む環境があったからこそ、世界遺産世界遺産たるものとして今まで保存され、受け継がれてきたはずなのに。世界遺産というものが、その周りの環境を破壊してしまうようなものなら、そんなものいらない。そもそも保存し、保護する意味のある物が世界遺産として指定、認定されるのに、認定された後に「世界遺産になったから」という理由で開発が進み、環境破壊が行われるようでは、何のための世界遺産指定なのか全く意味が分からない。失われた物はかえってこない。だからこそ「保存」に意味があるのに。思い出の場所の変わり果てた姿を見て、絶句するのは私だけじゃないと思う。